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(てんじんちぎのもり)絵を描くにあたり題材となった風景、気になった風景などを紹介していきます。

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空から何かを得るために


 先日、F0サイズで柿の木を描きました。
上市町から立山町へ向かう途中で見かけた木です。
僕は車を止めて携帯で写真を撮りました。

太陽の光をたくさん吸収するために、枝を伸ばし、葉をつけ、みずみずしい重い実を付け、実を落とし…
全ては新しい命をつなぐために、柿の木も必死に生きているのだろうと思います。

どこにでもあるちょっとした柿の木も、近くで見上げると大きなものです。カメラを向けても収まりません。対面に道を渡り、少しずつ離れながら液晶を覗いて、ずいぶん離れて柿の木の全体像を写真に収めました。
カメラをおろし、もう一度柿の木を見てみると、大きな空の中で、それはそれは小さく見えました。

秋の終わりの寒空に、色々な感情と教訓を頂きました。

~僕が学んだ事~
◆みんな自分の為ではなく次の命をつなぐ為に生きている。たぶん僕もそう。
◆木の枝は空に張る根。
◆美しくも無く、誰からも注目されていない柿の木も、近くで見ると意外と大きい。
◆意外と大きな柿の木も、広い空の中ではとても小さい。そして僕はもっと小さい。
◆カメラに収まる範囲と比べると、人間の視界は驚くほど広い。
◆なのに意識して見ている範囲は驚くほど狭い。
◆普段そんな事は気にしないで生きている。

柿の木との出会い一つで人生が変わる可能性もあるのだから、見るもの、触れるもの、感じる事、出来る限り大切にしていきたい。

学びながら、そのサイクルの中で自分も何か出来たら、それに変わる喜びはありません。
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素敵な駅・可愛い電車


 この写真は黒部市にある富山地方鉄道『舌山駅』です。
ご覧のように、かなり年期の入った味のある駅舎です。
素敵ですよね。
この写真を撮ったのは2年前の春でした。何気なく通りかかり、携帯電話で写真に収めました。「自分の手で絵にしたい」そう思い、あっという間に2年です…年が経つのが早過ぎます。
今も描きたくてうずうずしていますが、まだ手を付けられずにいます。

富山地方鉄道の黄色と緑の電車も可愛いですよね。

肌色の角ばった電車も見かけますが、こっちの黄&緑の方が好きです。春、雪の残る立山をバックに野花の中を走る姿は、あまりの美しさ、ほのぼのした可愛らしさに感動すらします。そんな走ってる姿も撮りたいんですが、走ってる電車って撮るの難しいですよね、タイミングが。

ライトレールも良いですが、昔ながらの市電も風情があって良いなぁ、と思います。ただ、最近の市電のラッピング広告は頂けません。(あのどぎつい全面広告)
さもしいと言うか、商売とは言え自分達の街の魅力を半減させている様な気がします。松川の桜を写した写真の後ろにあれが写っていると、ちょっとげんなり。
観光も富山県の重要な産業だと思いますので、歴史・文化を尊重した上での商業であってほしいなぁ。
あくまで個人的な意見ですが。

冬の木を描く

EGON SCHIELE(エゴン・シーレ)の様な絵を描きたくて、生意気にも挑戦してみました。今から7、8年前の事です。
しかし…僕にはとても無理でした。まあ当然と言えば当然ですが。

高校生の頃、名古屋でシーレ展を見て圧倒されました。
それ以来、未だに僕はこの人の絵に憧れ続けています。

シーレの絵には、彼の生きていた1900年前後のオーストリアの時代背景、歴史と文化、彼の生い立ち…様々なものが自然とにじみ出ている様に感じます。彼は28歳で亡くなっていますので、実際に画家として活動した期間はわずか9年。その間作風は、もちろん変化はしているものの、ほとんどぶれる事無く終始一貫していると思えます。

凄い…感服です。

僕は、シーレをきっかけにドイツ語圏に興味を持ちました。オーストリアに住んでみたいと思いました。生活に追われ“若くして移住”の夢は叶いませんでしたが、まだ諦めてはいません。シーレやクリムト、モーツァルトやベートーベンを産んだ文化を肌で感じてみたい。そこで『芸術の謎』の答えの一つも拾って来られたら幸せなのですがね…。

今、Tokio HotelのMonsoonを聞きながらこのブログを書いています。彼らはドイツのバンドですね。まだ若いのに、切なくて哀愁があって好きです。最近良く聞いています。

シーレにインスパイア(笑)されて9年前に描いた絵が↓です。

恥ずかしい限りです。とてもかないません。自分の絵を確立出来るよう、これからも頑張ります。

auf wiedersehen

-3.7℃ 雪の小樽運河にて

 2年前の3月、祖母の葬儀で小樽を訪れました。
僕は小樽出身ですが、幼少の頃愛知県に引っ越しているため、数年に一度しか北海道に戻る事はありません。特に成人してからは仕事の都合、金銭的都合もあり、足が遠退いています。それでも(だから?)北海道に行く度懐かしく、様々な想いがよみがえり、胸がいっぱいになります。

この時は3月も半ばに差しかかる頃でしたが、小樽は大雪でした。運河沿いの温度計は夕方5時40分過ぎで-3.7℃。凍てつく小樽運河に魅せられて、僕は思わず写真を撮りました。とても月並みな風景です。僕が描いた場所は一番有名なポイントかも知れません。でも僕自身はこの風景を知りませんでした。運河沿いを歩いたのも初めてだと思います。少なくとも記憶にはありません。


祖母の葬儀が無ければ、この雪の中、この場所を歩く事も無かったでしょう。この絵を描く事も無かったと思います。生きているうちに孝行してあげられなかった。ごめんね、お婆ちゃん。小樽の祖父、祖母、共に亡くなってしまった。
翌日、札幌に住む母方の親戚の家を訪ねました。母方は祖母が健在ですが、その祖母も、僕の顔を見ても名前が出てこなかった。誰だろう…と不思議そうに僕の事を見つめていました。
僕はその帰り道、千歳空港に向かう電車の中で一人泣きました。僕は何という事をしてしまったのだろう。なぜ、もっと前に気付けなかったのだろう。小さい頃の思い出が蘇り、自問自答しました。

何か恩返しをしてきたか?

自分勝手に遊び歩いて我がまま放題に生きてきました。もちろん、苦しい思いもしたし努力もしました。でも、感謝の想いが足りなかった。自分ひとりの力で生きてきたんじゃないのにね。泣いても失われた時間が戻らない事をこの時ほど痛感した事はありません。

今も、僕はたくさんの人に支えられて生きています。喧嘩もするし腹が立つ事もあるけれど、人と関わっていられる事が今では本当にうれしい。
恥ずかしながら30過ぎてやっと気付きました。祖母のおかげです。
これからも、感謝の想いを胸に生きていきます。

この絵にも少しは心情が表れているかな…。-3.7℃でも、この時の雪はとても温かかった。

亡き祖父母、支えて下さった皆様に捧げます。

山間の小さな発電所

富山県から41号線を神岡へ向かって進むと、川沿いに小さな水力発電所があります。以前、山中をドライブしていた時偶然見つけました。
橋に車を止めて「魚いないかなぁ」と妻と二人、川を覗き込んでいたのですが、橋の上から見た発電所がなかなか素敵なので写真に収めました。

僕は水力発電所が大好きです。飾りっ気の無い無機質な建物が森の中に太いパイプを伸ばして建っている姿を見ると、その違和感と存在感に思わず見惚れてしまいます。妻には「何となく外観が北海道っぽいから好きなんじゃない?」と言われました。確かに言われてみるとそんな気もします。(僕は、生まれ故郷の北海道が大好きです。)

これを後日描いたのが下の絵です。

なかなかお気に入りの一枚になりました。
地図を見ていると水力発電所ってたくさんあるんですね。
今後も素敵な発電所を探して描いてみたいと思います。

僕の描いた絵はこちらで公開しています。よろしければご覧になって下さい。